記憶はレコードのようだ。
それごとに浅い溝がついていて、針でなぞりながら音を出す。
記憶をもし内側から取り出したら、きっといろいろな溝があるだろう。
きっとそれはちょうど色あせた内臓のようなものだ。軽く、古い紙でできているようだ。
線だったり、点を紡いだもの、ぼこぼこしていたりしていて、幾種もの質感がそこには存在している。
記憶を再生するときは、針の代わりに光でぼやけた指を使う。
ぼやけたその指は、針よりも危うく、微かな温もりをもって溝をなぞっていく。
それは音と同じく、そこに溝(質感)がなければ存在することはない。
溝とは、何かが爆発してできた跡だ。経験とは、その爆発だろうか。
自分がまき散らしてきた生き様だろうか。